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物質的な豊かさ、普通の口論、エストニア

6/15 くもり

雨だっていうから浴室乾燥でタオル乾かしたのに!くもり。

仕事でなんとなくモヤっ……とすることがあり、そのままずるずるずると落ち込む。

この社会、資本主義社会のくせに、物質的な豊かさは本質じゃないって言いやがる!助けて!グレート・ギャツビー(?)。ギャツビー?ということは死ぬしかない。殺してくれ。

昨日、「過渡期なんだよなぁ、と思う」と言っていた友人の声がふと過ぎる。ただの(?)資本主義社会よりは、きっと良くなっているのかな。

強くなりたいと思っていた。でも、強くなることは、加害者になる可能性を高めることで、誰かに耳を傾けてもらいにくいことを意味する……ような気がして落ち込む。身勝手。強い者の意見は、耳を傾けずとも社会の仕組みに反映されている。聞かれる必要などないのである。わかる。私は恵まれている。それはそれとして仕事がきつい。


6/16 くもり?(外に出ていないので分からず)

22時、大豆田とわ子の最終回を泣きながら観ていたら、上司から電話がかかってくる。

明日の予定だった私主催の会議を、昨日、金曜日に延ばしたのだが、やっぱり繰り上げて明日やりたいのだという。明日の、朝9時から。

ドラマ視聴を邪魔された恨みから、従順に振る舞うことは難しく、つい電話で普通の口論になる。

私「それは前日の22時に決めることではないと思います。資料が何もできてません」

上司「こないだまでは明日やる予定だったじゃん。もし明日だったらどうするつもりだったの?」

私「何ですかその仮定は。昨日話し合って、金曜になりましたよね?昨日、水曜日だと都合がつかない人がいるから無理だねって話しましたよね?」

上司「でも、元々は水曜日だったじゃん」

私「いや……もういいです、分かりましたから」

上司「じゃあいいよ明日はナシで」

私「いや、いいです、資料作りますよ、もういいです」

上司「いやいいよもう」

普通の口論すぎる。ビジネスの場で普通の口論するなんてことある? 9歳年上の上司とこのレベルのケンカ、悲しすぎる。


6/17 くもり

サントリーホールN響の定演を聞く。

序曲的な位置づけで最初に演奏された、ペルトというエストニアの作曲家の、スンマ(弦楽合奏版)が良かった。エストニア・日本友好100周年らしい。

演奏会は良かったが、隣の席の紳士がだいぶ癖のある人物で割と厳しかった。

ニールセンの不滅を聞きながら、自分が合奏も合唱も1年以上していないことに気づき、演奏を楽しむことそっちのけで、演奏しているプロの人たちに対する羨ましさが込み上げてくる。

音楽の渦に飲まれて、自分が出した音とそれ以外の音が溶け合った時、思考と感情より先に笑みが込み上げる瞬間、勝手に顔が笑っちゃうアレ。アレが恋しい。