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記録

4月の読書月記

 自粛生活幕開けの月。

 

 幸い、(個人の勤務態度は別として)これまでとほぼ変わりなく仕事ができていた。求められる仕事の量も、会議の頻度も給料も変わりない。

 茶髪やネイルが許容されそうだからという理由でIT企業に就職を決めたが、このようにメリットを享受する日が来るとは考えていなかった。きちんと考えておくべきだったんだろうな、と思う。

 つくづく、世間知らずな学生の分際で出来る損得勘定などたかが知れていたんだろう。でも今は、社会人3年目の分際で出来る損得勘定などたかが知れているだろうと思う。こうやって思考停止していつまでも、知恵を尽くした悔いなき人生のための将来設計のことを「損得勘定」などという冷たい言葉にわざと言い換えて生きていくんだろうか…。はあ。

 ある日突然大きな建物が出現して、それまで当然のように日光が当たっていた自分の住みかが物陰になる。日向と日陰はくっきりと分断される。でも、次どこにビルが建つともしれないし、そもそも日が傾けば日陰の位置は変わる。人為的なものとそうでないもので、それでもくっきりと境界線が描かれていく、そんなような…あんまり上手い喩えじゃないな。

 とにかく、月並みだけれども、あやうい地盤の上に生きているよなあと能天気に日々思う。

 

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

春になったら莓を摘みに (新潮文庫)

 

梨木果歩 『春になったら莓を摘みに』

 梨木果歩氏がイギリスの下宿で、異文化・異民族との触れ合いに戸惑ったり、傷ついたり、感銘を受けたり、四季のうつろいを愛でたりする日々のことが綴ってある。

 三浦しをんが書評集の中で「人生におけるエッセイベスト10(だか5だか忘れた)」に挙げていたので、購入。

 最初の1ページを開いたところで、たぶん同じ理由で10年くらい前にもこの本を手に取り、結局読み終えられなかったことを思い出した。

 当時は「なんか小難しいな…」と思って挫折したはず。今回も、薄い本なのに読むのに1週間以上かかった。筆致がわりあい硬質だからだと思っていた。でも改めて読み返して分かった。10年前もいまも、この本に描かれている事実や感情を噛み砕ける知性と、受け入れる懐が私の中に無いからすんなり読み進められないのだ。

 取り上げられるのは確かにクリスマスの話とか、庭のリスとかで、モチーフは可愛らしいものも多い。でも、全体を通じて描かれ続けるのは、「相手を理解できないこと」「自分が理解されないこと」を思い知るエピソードばかり(そして特に、前者のエピソードの時がつらい)。

 アメリカだかイギリスの大学に進学した高校の友人が、渡航してすぐくらいにくれた電話で開口一番に「辛い。周りの人間のバックグラウンドがあまりにもバラバラ。分かっていたはずなのに受けとめきれない。混乱する。」とこぼしていたことを思い出した。彼女は私の知り合いの中では1,2を争う知的にタフな人間で、外人の友達も沢山いるように見えていたので、そういう人でもこんなに弱り切るんだなあとかなり驚いたのを覚えている。もう何年も話していないが、結局なんやかんやで今も向こうで研究を続けているようなので、たぶん混乱に対処する方法も見つかっているんだろうと思う。

 梨木果歩は(小説家だから当たり前だが)ものすごく観察眼が鋭く、人並み以上に感受性豊かで、強烈に思慮深い。その解像度で、私の友人が目の当たりにした混乱を描くんだから、とにかく情報量が凄い。

 異国の地でサバイブするために、同じコミュニティーにいる人と分かり合って和やかに暮らしたいと思うのは自然なことで(ここまでは想像できる)、そのとき相手が自分には受け入れがたい言動を繰り広げる苦しみというのは多分相当なものだろう(この想像はもうかなり怪しい)。

 多様性を受け入れるということはそういう受け入れがたい(=拒絶したくなるような)ものを何らかの形で受け入れるということで、バックグラウンドが違うのだから言動が違うのは当たり前で、たとえその言動が悪意に基づいていたとしても、その悪意さえ何らかの否定し得ないバックグラウンドに起因するのだとすれば受け入れるべきで…とかなんとか、それでも感情的に受け入れられないモンは受け入れられないこともあるはずで、私なら自分で自分を板挟みにして発狂する自信がある。

 そういう、私なら発狂必至の日常が、淡々とした筆致で描かれている。

 私は狭量で知的タフネスが足らないので、この日常を梨木果歩とともに丁寧に歩める領域に達していない。よく分かった。人類としてのレベルが低いんです私は。

 

猪ノ谷言葉 『ランウェイで笑って』 13-15巻

 基本的にこの話は、デザイナーを目指す主人公・育人くんの成長が著しすぎて向かうところ敵なしのため、あまりにもすべての難題が秒殺されてしまう。最近はもう育人くんがあまりに安定してずっと一本調子で無敵のため、主人公の成長を味わうというよりは、手を変え品を変え襲い掛かるいろいろな難題の方を味わう感じになってきている。それで若干放置していたが、初のステイホーム週末に備えていそいそとKindleで購入。

 相変わらず育人くんは無敵。異常なスピードで成長してすべての難題をクリア。いや君、そこら辺にいる冴えない服作りが趣味の高校生なんじゃなかったのか。ふつうに有名ブランドのデザイナーになってるし、TGCに出品してるし、パリコレにも手が届きかけてるよ。でもちょっと久しぶりに読んでわかったけど、この異常なスピード感が良いんだたぶんこの漫画は。特段苦労もせず(せいぜい2徹で頑張って縫うとかそういうレベル。それで潰されそうだったブランドがまるっと救われてしまう)どんどんのぼりつめていく様子は、100本ノックを見ているような小気味よさがある。

 まあでも、最近あんまり出てなかった千雪ちゃん(推し。天才的モデルの才能を持つが、背が低いという決定的なハンディを背負っている)がたくさん出てきたので楽しかった。強いヒロインは良い。もっと育人くんをタジタジにさせてほしい。タジってる育人くん可愛いし。

 『ランウェイで笑って』、それにしても良いタイトル…。「モデルはランウェイで笑ってはいけない」(主役は服なので、モデルの表情に注目を集めるのはNG)というセオリーがどんな結末でどのキャラの台詞で仕草で覆されるのか楽しみで仕方ない。それを見届けたいというのがこの漫画の新刊を買い続ける理由の半分以上になっている…。なんだかんだ、ラストシーンでは泣いちゃう自信ある。

 

ご本、出しときますね?

ご本、出しときますね?

  • 作者: 
  • 発売日: 2017/04/25
  • メディア: 単行本
 

BSジャパン/若林正恭 『ご本、出しときますね?』

 2,3年前にやっていた小説家(週替わりで2,3人ずつ)とオードリー若林のトーク番組を書籍化したもの。全部観てたので内容はだいたい覚えているんだけど、ちょうどよく記憶が薄れてきたところだったので久々に反芻したくなって購入。結果、ほとんど内容覚えてたけどそれでもめちゃ笑った。

 白岩玄のマイルール「海の砂浜でジャンプして写真を撮る女とは距離を置く」っていうのが本当に好きだ、「楽しそうな瞬間を“盛って”でも作りたい」という思想の持ち主に近寄りたくないかららしい。け、潔癖~。

 写真というものは切り取り方に必ず恣意性があるもので、そういう意味では多かれ少なかれ写真はすべて虚像で、そこに嘘の匂いをいちいち嗅ぎ取ってたらインスタを5分眺めただけでぐったりしてしまうだろう…。いや、実際分かるけども。明言して断言する頑なさが、凡人たらざる所以だなと思う。出てくる小説家の話を読んでいると、そういうことの連続で面白くて楽しい。

 あと、つまらないギャグを言い続ける人に何て言って対処すればいいか?って聞かれた若林が、回答として「ご機嫌ですね~」とか「ロケットスタートですねw」とかを挙げていたのでみんな使っていこう。私も使う。

 

ミシン (小学館文庫 た 1-4)

ミシン (小学館文庫 た 1-4)

 

 嶽本野ばら 『ミシン』

 どうしようもなくはみ出した者同士が傷つきながら運命的に出会い、強く結びつきなおも傷つけられる的な痛ましい中編集。これも三浦しをんの書評が素晴らしすぎて購入。

 ↓空前絶後の名書評だと思う。(『三四郎はそれから門を出た』より)

「生まれて初めて吸った煙草のけむりが、気管を降りて今まさに肺に到達しようとしている。白い汚染物質にまだ一度も触れたことのない薄桃色の肺胞は、あとコンマ数秒後に確実に流れ込んでくる煙の存在をはっきりと予感している。この本はそんな、どこか諦めにも似た深い静けさに満ちている。」

 この本を読んで私が思い出したのは、いわゆる思春期の頃、「相手にとっての自分が、自分にとっての相手と同じ重みではないかもしれない」という観念にしばしば取りつかれては苦しみ、内心悶絶していたことだった。当時は付き合っている人もいなかったので、先生やら友達やら親やら、周りの近しい人たちのふとした言動を目にするたびしょっちゅうこの観念が頭をもたげて来て、そのたびに深く絶望して痛みを感じていた気がする。

 平たく言うところの「我等友情永久不滅」「ズッ友」的な意思表明は、基本的に思春期を過ぎるとなりを潜める。最近、実家で高校の頃使っていたガラケーを発掘して、友人とのメールを読み返したらまあいろんな意味で痛々しく気が遠くなったが、何より今なお交流のある友人との距離感が、今ではとてもできないような近さで面食らった。詳細は思い出したくもないが、たぶん当時はそうやって親密さを確認し合わないと辛かったんだろう。エネルギーを持て余しては手当たり次第に周りの人に肩入れして、同じだけの情熱が返ってこなければ絶望して、というのを繰り返していたように思う。

 当時あれだけ近しかった(近しすぎた)友人らとも今は適切な距離を保って、ほどほどの頻度でまとめて近況報告し合っている。当時だったら、「最近彼氏できたんだよね。2か月前くらい?」とでも言われようもんなら発狂だろう。2か月も前に!?どうして言ってくれなかったの!?(わなわなと震える)みたいな。

 「相手にとっての自分が、自分にとっての相手と同じ重みではないかもしれない」という事実は、昔も今も変わらない。「まじか。ふ~ん。」くらいのモンだ。というか、もう大人だから、そうでないとやってらんねー。例えば、大して仲良くない人の結婚式になぜか呼ばれるのも、仲良いと思ってた人が気づいたら結婚して転職して引っ越してるのも。

 

ゆびさきと恋々(1) (KC デザート)

ゆびさきと恋々(1) (KC デザート)

  • 作者:森下 suu
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: コミック
 

森下suu 『ゆびさきと恋々』 1巻

 難聴で手話を使って話す女の子と、トリリンガルの男の子の胸きゅんモノ。ネットでこれを褒めている人がいて、ちょうどろうのカメラマン齋藤陽道さんのエッセイを読んでいたこともあり購入。

 絵柄、めちゃ綺麗。森下suuという漫画家は、ストーリーと絵を別々の人が担当しているらしい。へ~。

 手話ってちょっと今までにないモチーフだなーと思って読み始めたけど、大筋はn番煎じの、内気でうぶな女主人公が、イケてるメンズ(胸キュン動作を熟知)に見いだされる、という王道のやつ。でもとにかく絵柄がめちゃくちゃ綺麗。最近あんまり少女漫画読んでなかったけど、出色の繊細だと思う。それだけで十分読む価値がある。

 設定上、主人公がほとんど声を出さない(スマホの画面とか手話をつかって発話する)ので、吹き出しが少なくて無音のシーンが結構多い。それがとても効果的に挿しこまれており、壊れやすく静謐な世界観が作られている。息を詰めて読みたくなる感じ。たぶんざわざわした通勤電車で読むやつじゃないやつ。寝る前に照明を落としたベッドの上か、休日の昼下がりに読むやつ。ちゃんと心が凪いでる時に読まないと、(台詞の文字が少ないので)高速でページを繰ることになってしまう。

 物語の展開も、ちゅどんちゅどんとハプニングを起こしてヒロインとヒーローの距離を縮めにかかるのが通常運転の少女漫画よりは遅め。私は気が短いので若干じれったく感じた。あと2冊くらい出てからまとめて読みたいな…でもまとめ読みのスピード感で読むのもそれはそれでまた間違った味わい方のような気もする。

 ところで、この話は主人公の性格がそもそも大人しいっていう設定なのでさておき、手話で(おそらく日本語対応手話と日本手話ですこし事情は違うと思うのだけど)話している人って別にそんなに静かな印象じゃないんだよな。齋藤さんも「(手話で)全力で言葉を尽くして話した後は腕がめちゃ疲れる」みたいに書いてた。マシンガントークで喉乾くのと一緒だな~と思った。当たり前か。

 

酔って記憶をなくします (新潮文庫)

酔って記憶をなくします (新潮文庫)

  • 発売日: 2010/09/29
  • メディア: 文庫
 
ますます酔って記憶をなくします (新潮文庫)

ますます酔って記憶をなくします (新潮文庫)

  • 発売日: 2011/04/26
  • メディア: 文庫
 

石原たきび 『酔って記憶をなくします』、『ますます酔って記憶をなくします』

 自粛ムードに疲れてきて、アホな話に癒されたいと思い購入。

 「酔って記憶をなくします」というmixiコミュニティ(!)に寄せられた酔っ払いの武勇伝を集めただけの本。「酔って海へ、気づけば鼻の辺りまで海水が。上司のハゲ頭に柏手を打って拝む。交番のお巡りさんにプロポーズ。タクシーで5万円払い「釣りはいらねえよ」。居酒屋のトイレで三点倒立の練習。ホームレスと日本の未来について語り合う」などなど。人間ってすごいな、と素直に思う。酔っ払いの奇行も凄いし、なんだかんだそれを受け入れて許している周りの人間も凄い。

 酔って記憶を完全になくしたことは今で一度もない。史上もっとも深酒したのは大学時代のサークル合宿で、酔い方としては「笑いダケを食ったかのように爆笑し続け、大声で周りの人を指さしながらダメ出しをしていた」というもの。朝になって目撃者から何をダメ出ししていたか聞いたら、全てが普段から思っていたが口に出していなかった内容だったので絶望した。酔ってダメになるのではない、酔って本性が見えるだけというのは本当だ。今でも普通に接してくれるサークルの人たちに感謝。ダントツの黒歴史。あれを超えてくるものがまだない。早く塗り替えたい。

 

 大童澄瞳 『映像研には手を出すな!』 1巻

 正直、先月の記憶がけっこう曖昧だ。映像研にハマっていたこと以外は…。

 一部界隈でめちゃくちゃ流行ってるやつ。映像研究同好会でアニメを作る女子高生3人組の話。

 4月最終週に映像研のアニメをFODで一気見してからもう夢中になってしまい、それからは寝ても覚めても電撃3人娘をいとおしく思うのに忙しく、実写版を観たり、ファンアートを漁るためピク●ブに入り浸ったりしていた(今もしている)のでもうあまり他のことを覚えていない。

 Rebuild.fmという、愛聴しているテック系ポッドキャストで出演者全員が「モノづくりに携わる人には確実に刺さる何かがある」等と褒めちぎっていて興味をもったのがきっかけ。(まあ確かに、こだわりや誇りをもってアニメづくりに取り組む姿を見て、私もちゃんとこだわってパワポだのExcelだのシステムだの作ろう、とちょっと奮い立たされた。)

 あと、原作の著者が「趣味全開で描いてます」みたいに言ってるので、たぶん漫画好き・アニメ好き・ロボット好き?にはたまらないディテールが随所にちりばめられているっぽい。(私には分からない)

 まあ私はそういう本質とか神髄的なものは一切感じ取れないポンコツ視聴者だが、もうアニメ最終話まで観たらもう。ストーリーとかメタファーとかオマージュとかは分からないが、とにかく3人のことが好きすぎて胸が苦しい。

 何が良いって、3人とも高校生で、アニメづくりは高校の部活動。ということは、作中で高校1年生の3人娘は、あと2年したら高校を卒業してたぶん離れ離れになる。3人のアニメ作りは、少なくとも今の形態では続けられないのだ。

 アニメ版の最終話は「私たちはまだまだこれから!」というニュアンスで終わったし、原作漫画はまだ完結していない。じゃれあいながら全力でアニメを作る3人は、アニメの中で、漫画の中で、とても素晴らしい青春を過ごしている。

 でも、私は、そういう日々がそう遠くないうちに必ず終わることを知っている。その有限性、不可逆性の中で、渦中にいるからそれに気付かずあまりにも生き生きとしている3人娘の躍動を見ているとノスタルジーなのか羨望なのか庇護欲なのかなんなのか分からないがとにかく泣きたくなるようないとおしさで胸がいっぱいになる。

 よって他のことは何も考えられません。

 原作は5巻まで出ていて、まとめ買いしたけど読み終わるのが惜しいのでちょっとずつ読んでいる…。

 仲良し女3人組的なジャンルで言うといまドラマでやってる「地獄のガールフレンド」も原作ドラマともどもめっちゃ良いんだが、こっちはアラサー女子の終わりなき日常を切り取った話なので、映像研的な切なさはあんまりない。

 3人組の関係性に関しても、『ミシン』の感想で書いたみたいな異常な親密さの有無があるかもしれない。

 

***

とにかくもう今わたしのiPhoneの待ち受けは映像研になりましたから。ミーハーですので。

ドラマもまた違ったストーリーなんだがとっても良いよ~~~映画早く観たい。アニメも2期はよ~~伊藤沙莉さんの浅草氏がすごくすごくすごくよい。